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江戸時代の生活・制度と長続きの理由を解説・考察する<歴史まとめ>

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商業の発展は、江戸時代の平和に大きな役割を果たした。

 

はじめに

 

江戸時代」は、日本の歴史において平安時代の次に長く続いた時代区分です。その長い期間(265年)の中で、表向き(徳川将軍家の支配)の部分では変化はあまりなかったと言い切れるかもしれませんが、少し視点を庶民へと向けてみるだけで、人々の生活様式の目まぐるしい変わりようが見て取れます。

 

 

江戸時代の主な出来事と、人々への影響(階級別)

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江戸時代=「武士の世の中」と思われがちですが、実際には...
各階級の反応 武士 町人 百姓
武家諸法度の制定 行動の束縛 変化なし 変化なし
幕藩体制の確立 絶対的な主従関係 変化なし 変化なし
参勤交代の成立 財政難(藩) 変化なし 変化なし
士農工商」(身分制度 優位性...特権 屈辱 2番目の地位を得るも…名目にすぎず

 

この四つは全て武士に対して成されたことだけど、すべての身分の人々が影響されているね

つまり、江戸時代は武士だけが主役じゃないってことかな

 

ほかにも...

 

鎖国の成立...

海外の優れた学問や技術を輸入できなくなった反面、海外の影響を受けにくくなりました。

 

金銭の普及...

もともと武士の給料は米(俸禄)だったものの、次第に金銭での給料支払いが一般化しました。地方の農民も、作り余った米を金銭に替えるなどして、その普及に一役買います。

 

交通路の整備...         

樽廻船、飛脚などがその象徴です。人々の行動範囲は広く拡大し、庶民の間で旅が流行ります。

 

文化...              

江戸時代前期にあたる1688~1704年の文化を、当時の元号にちなんで「元禄文化」といいます。上方(かみがた)といわれる京都や大阪を中心に栄えました。

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 ズバリ、経済力をもった町人を担い手とする文化を指します。 例)浮世絵、歌舞伎

 

正徳の治...           

新井白石」による改革です。密貿易の監視を強め、鎖国を確固たるものにしました。

 

享保の改革…      

世にも有名な「徳川吉宗」による改革。主な目的は、米の値段の安定、幕府の財政の立て直しでした。将軍自らの質素倹約に勤しんだこともあり、改革は成功に終わります。

 

黒船来航  

この事件の15年後に大政奉還がなされ、幕府は幕を閉じます

 

このように、江戸時代の重要な出来事を振り返ると、注目すべきは「いかにこの時代が安定していたか」でしょう。事実、大塩平八郎の乱を代表して、幕末には多くの反乱が発生しました。しかし、外国の影響力から逸脱していた初期、中期の200年のみに焦点を絞れば、その安定感は日本史において特筆すべきものと言えるでしょう。

 

では、その安定感・平安はいかにして得られたのでしょうか。

 

 

 

長続きの理由を考察する

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 「士農工商」の身分制度の確立...

制度の確立により身分の差がはっきりと認識され、人々はその「身分」という範囲内でしか行動できなくなっていきます。彼らの生活は「形式化」し、自由と拡張性を失っていきました。

 …と思いきや、彼らはその身分の中で精いっぱい努力し、生活の向上に努めた一面もあります。技術の発展によって生まれた「余暇」は、人々に身分を超えて「金銭的な自由」を保証しました。

 

この時間を使い、民衆は旅に出るなり、モノを買うなり...

 

 

鎖国」の成立...

鎖国により、海外からの文化や書物が日本に入りにくくなったため、その影響を全くと言ってもいいほど受けなくなりました。つまり、その影響を受けることなく幕府は国を治めることが可能になった、ということです。

そもそも、幕府が鎖国を決意した一番の理由はキリスト教。戦国時代のザビエルから始まり、信者を拡大してきたこの宗教は、一部の教徒が島原・天草一揆を起こす原因になったことで幕府の逆鱗に触れてしまいます。

 キリスト教は、「海外の宗教や思想を取り入れることは反乱の種を植え付ける行為になりかねない」と幕府に恐怖を与えたという理由から、鎖国の一つの直接的原因と言えるでしょう。

 

「金銭の普及」...

お金が全国に流通したおかげで、経済が発展していきました。しかし、この影響で百姓や町民、そして武士まで貧富の差が激しくなった一面もあります。 例えば、百姓の中でも階級ができ、土地を持つ「本百姓」と血を持たずに小作を行う「水飲み百姓」の分裂が起こります。 

 

藩閥制度の制定」...

この制度が成立したということは、全国すべての大名が江戸幕府に従ったということ。また、幕府は諸藩の大名を親藩、譜代、外様ランク付けし、更には「武家諸法度」など厳しいルールを武士に押し付けることで、管理を徹底させました。

 また、武家諸法度制定の「参勤交代」(1635年)というものが哀れな大名たちに追い打ちをかけ、彼らの財政を苦しめました。減俸やお家断絶などが絶えなかったようです。

鎌倉幕府室町幕府など, どこの時代と比較してみてもこれほど硬い主従関係は見受けられません。

それほど徳川将軍家の権力は大きかったということですね

 

元禄文化化政文化」...

文化とは、その時代がどんなものであったかを示すとても重要なものです。江戸時代には、綱吉のころの元禄文化、そして徳川家斉のときの化政文化の二つの文化が存在しました。元禄文化は、歌舞伎、浮世絵など経済力を持った商人を担い手とした新しいこれまでになかった文化でした。また、化政文化も同じく庶民を担い手として発展したものであります。 

ここで重要なのは、担い手が商人や町人などの庶民であること

 

 

 

やっとわかった!? 幕府が265年続いたワケ

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一番の要因:

やはり、長く徳川政権が続いたのも幕府の絶対的な権力のおかげであると思います。 幕府は法や階級制度で藩を監視し、反乱などの裏切りをさせないために全力を注ぎました。藩という大規模な組織のみならず、「武家諸法度」などの制定により、武士一人単位での管理を徹底し、盤石な主従関係を強引にも築かせることで「安定」を保ちました。

また、佐渡を代表して幕府は広大な土地を直轄地としてもっていたため、金山を開拓したりなどして莫大な資金を得ることも可能でした。つまり、江戸幕府は「経済力」と「法的権力」の二つを併せ持っていたのです。

ちなみに、寛永通宝などの貨幣を作る権利も幕府は独占していたため、金銭が主体となり始めていた経済を自在にコントロールすることさえできました。

このため、藩は圧倒的な権力を握る幕府に対して抵抗しなくなり、民衆たちは安心して暮らせるようになったのではないでしょうか。

 

 

 

~おわり~